🎍令和初のお正月🎍2019年末やら2020年始、令和2年1月に、昭和レトロお正月を振り返る。昭和の名機『プリントゴッコ』

🎍令和初のお正月🎍2019年末やら2020年始、令和2年1月に、昭和レトロお正月を振り返る。昭和の名機『プリントゴッコ』

あけましておめでとうございます😊

と言っても既に小正月の15日も過ぎ、令和2年1月も月半ば、私つき子も昭和、平成、令和と三つの時代の年末年始を過ごして参りました。そこで、ちょっと昭和70年代〜平成、令和の年末年始の移変わりを振りかってみたいと思います。




【昭和70年代思い出の年末年始】

さて、私つき子は1967年生まれの羊年。記憶に残っているのは1972.3年頃からの事。まず何と言ってもその頃の日本のは年始の3日間はガッツリお正月休みで、デパートも商店街も個人商店も勿論大手企業も中小企業も、もれなく全てお正月休みでした。なのでクリスマス前からやたらと買い物に忙しくなって、30日.31日の大晦日に向かって益々加速して行き、どこの商店街もスーパーも買出しの人で賑わっておりました。

勿論コンビニの登場前の事です。

たかが3日のお休みですが、今の簡素化したお正月とは違い、とにかく決まってやらなければ行けない事や揃えなければならない物、作らなければならない物がとにかくたくさんあって、一家の主婦はフル回転の年末年始でした。そして子供達も、お使いやら、お掃除やら、年末年始のお客様のご挨拶やら、お年玉を楽しみに、あれこれ家のお手伝いをしたものでした。

父親は10人兄妹、母親は6人兄妹で親戚縁者の数も相当な人数で、1日から、近隣に住んで居る親戚縁者の家を巡ってご挨拶&おもてなし。勿論我が家にも順番に親戚が訪れますので、ご挨拶&おもてなし。

父親は朝からお屠蘇、お屠蘇でずっと酔っ払ってました(笑)

4日からはボチボチ仕事と言った感じでしたが7日休みと言った所も珍しくなかったと思いまず。今の低成長の日本では考えられないほどのイケイケの好景気の時代でしたが、まだまだ、昔ながらの日本の風習が残っておりました。

【プリントゴッコの年賀状】

令和2年の今年、『ネットでプリントゴッコ懐かし〜復活願う!』と言った声を見かけたて思わず、そうそうあったねー。ピカッとやって、インクのせて、カチンとやる、懐かし〜。



 

つき子の家は文具事務用品の卸業を営んで居ましたので、一早くプリントゴッコなる当時としては画期的な大ヒット商品を取り扱って、中々儲かった商品の一つだったと思いまず。平成生まれの方は何それ?と思われると思いますが、40代50代以上の方は良くご存じと思いますが、当時は国民のほとんどが年賀状を必ず親族や友人、ご商売の取引先、勿論恩師や大切な方々に必ず年賀ハガキで年賀状を出すものでした‼︎

今はLINEでOK 😉それはそれで便利ですね。

しかし当時は年賀ハガキもウッカリすると売り切れてしまうほどでした。そして、大半の人は全て手書きで1枚1枚書いておりました。私達子供も、お友達、いとこ、先生と10枚前後は書いてました。芋版とか、消しゴムのハンコとかでイラストを入れたり、とにかくアナログな時代でした。

つき子の母も筆書きで挨拶文だけで無く干支の絵まで書いておりました。大晦日まで商売をしながら、おせち料理を作り、年賀状も全部1人で手書きして、親類縁者や商売のお得意様合わせて200通以上毎年出しておりましたが、プリントゴッコの登場で、これは便利と早速導入したかったのですが、1977年昭和52年の発売と同時に在庫切れ続出で、うちで母が確保していた分もお客様のもとへ。

みんなこれは手軽で楽しいしお値段もまずまずお手ごろ価格で欲しいとなったのです。

ちょっと今の人は想像もつかないと思いますが、一般庶民はコピー機なんか見た事もないし、家にパソコンもプリンターも無い、携帯もスマホも勿論LINEもメールも無い時代。印刷所に大量発注しない限り、印刷の年賀状など存在しなかった所に、発売されたのが、1977年(昭和52年)理想科学工業が販売した個人向け小型印刷機シリーズ、プリントゴッコでした。

小さなフラッシュランプ💡が付属されていて、下書きしたイラストや挨拶文をセット、フラッシュランプをピカッと光らせて、元版を作り、インクを載せて、ハガキをプリントゴッコにセット、カチンと蓋をする様に押すと、はい簡易印刷完了となるわけです。

始めはインクの色のバリエーションも少なかったと思いますが、毎年の様に改良型が発売されてカラーインクもバリエーションが増えてバージョンアップ、年末になると必ず売れて、プリントゴッコ全盛の時代が続きました。

発売初年度は手に入れられなかったものの、翌年には母も手に入れて、助かる助かると言いながらプリントゴッコをフル回転してました。私達子供もイラスト入りの年賀状をピカ、カチンとやって興奮しながら作ってました😄

ネットで復活を望む声が上がるのも、つき子世代は大いにわかります。

今思うと笑えるぐらいアナログな印刷機なのですが、あのときめき感とちょっとした興奮は忘れられないですね。

昭和感満載のヒット商品でした。

その後31年にわたり販売され続けますが、インクジェットプリンターやインターネットの普及に押され年賀状自体の需要も減少し続ける中、2008年には本体の販売を終了し、付属品の販売も2012で全て終了しました。

一時期は芸術家によるコラボ作品なども生み出されるなど、昭和のお正月には欠かせない商品でした。

こうして今更振り返ってみると、中々手間ひま掛けた、クラフト感満載な年賀状作りです。しかし、手間ひま掛けてハンドクラフトして作り出したものには、愛着と充足感を心身ともに感じる事が出来るものです。こうして心と身体に刻まれて居るプリントゴッコの思い出は昭和のお正月を過ごした年代には忘れがたい物なのかもしれません。

21世紀も20年が経ち年賀状は11年連続で減少し続けています。今更何も驚くには値しませんが、私つき子は今年もパソコンでチョチョと作って4.50枚ほど出しました。

当時とは比べものにならないくらい楽にできちゃうので手間は無いのですが令和に成って年賀ハガキの値段も上がってしまいどうしようか少し迷いましたが出しました。

年賀状を作って送った側も、送られた側も、ほっこり、ほっこりの昭和のお正月習慣でしょうかね〜😉

平成民、令和民にはウザ!と思われてるかもですが・・・(汗)