ハローキティ祝45周年1974年元祖純正キャラクター王国。サンリオの創業者は『山梨王』‼

半世紀近く世界中で愛させているキャラクターと聞いて皆さんはどんなキャラクターを思い浮かべますか?アメリカの漫画ピーナッツのワン子ヒーロー『スヌーピー』、オランダのデザイナー、ディック・ブルーナの絵本の主人公うさこちゃんこと『ミッフィー』、イギリスの作家マイケル・ボンドの児童文学作品のくまのパティントンの『パティントン』など。今も変わらず世界中のかって子供だった人から現役の子供達まで半世紀以上愛され続けているキャラクターは多く居ますが、それらの多くのキャラクター達は漫画や、絵本、アニメーションなどから生まれたキャラクター達。キャラクターによるキャラクターの為のキャラクターはそう多く無かった45年前、今では日本の『かわいい〜!』の発信基地といっても過言では無いあのブランドから、そのキャラクターは産声を上げました。既に当時からアメリカのミリオネラーなかの有名なネズミさんや、ワンコ代表のスヌーピに、招き猫の原産地我が日本は、猫さんで対抗!そう誰もが知ってる、みんな大好きサンリオ、ハローキティちゃんです!

今年で生誕45周年を迎えるキティちゃんを始め、サンリオのキャラクター達について1974年当日、現役バリバリの小学生だった私つき子かが当時の思い出と共に綴ってみたいと思います。




【キティちゃんはお蚕さんの繭玉から生まれたよ!】

サンリオ創業者であり創業当時から株式会社サンリオの代表取締役社長を務め、御歳91才になられる辻信太郎社長は、山梨県出身。県庁職員として山梨県産の絹製品の製造販売促進のための外郭団体『山梨シルクセンター』を1960年に株式会社山梨シルクセンターとして独立させ自身も県庁を退職、同センターの社長に就任しました。

この株式会社山梨シルクセンターがのちの株式会社サンリオの前身です。

つまりサンリオの辻社長は生粋の『甲州商人』! え、何それ?と思われる方も多いと思いますが、甲州とは山梨県の古い名称、『甲州の武田信玄』なんて言い方とかたまに大河ドラマ観てるとされてますよね。

山梨県出身の商人て事ですね。

何を隠そう、つき子の父も山梨県出身、良く自分の事を『俺は甲州商人だからな!』と酒に酔って息巻いて居りました (笑)

簡単に説明すると甲州商人とは、商いにおいては辛抱強く負けず嫌いで良く働き、商談においては抜け目が無く金に細かく執着心が強いのが甲州商売人の特徴、天井の無い蚊帳を言葉巧みに売りさばいた・・・とか、甲州商人の歩いた後はペンペン草も生え無い。と言われるほどガメツイとされます⁈ (都市伝説?)

つき子の父も仕事は超真面目で実直でしたが・・・細かい事に文句が多く、家庭では男尊女卑の気質の強い人でしたー (汗💦)

そして、山梨の父親の実家も養蚕農家で、夏休みなど帰省した折に、広い養蚕小屋に沢山のお蚕さんがいたのを覚えてます。

山梨県はフルーツ王国と言われるほど葡萄や桃、梨農園などが有名ですが、養蚕も明治時代からの代表的な山梨県の地場産業の一つで、昭和初期までは日本全国でも1、2を競う生産高を誇っていました。

辻社長も県庁職員だった時代から、山梨県の絹製品の販売促進に力を注ぎ、絹製品の製造販売に取り組みある時、花のモチーフをあしらっただけのごくありふれた日用品がよく売れる事に着目。自社ブランドを立ち上げオリジナルキャラクター商品の開発を目指します。

そして1974年 ハロー・キティちゃんをはじめジミー&パティ、キキララ、などのスタメンキャラクター達が続々誕生。そして2000年代に人気が再燃すると、世界各国に進出を果たしたキャラクター達はまさに山梨のお蚕さんの繭玉から可愛く孵化して世界中に羽ばたいて行き、令和の今も世界中で愛されています。

【1974年 サンリオグッズ】

つき子がピカピカの1年生だった1974年『ハロー』と、あの横向きで頭が馬鹿でかく、お耳に赤いおリボンを結んだ白ネコさん、『キティちゃん』が私達の元にやって来ました!

本当に一目で、思わず手にとってしまうほど可愛いかったー❤️

つき子は同年代のお友達よりも、いち早くサンリオのキャラクターを手に入れる事が出来る環境に育ちました。それは父親の商売品であり、小売店も経営し店を任されて居た母にお願いして「つき子の分売らないで取って置いてね」とおねだりしては、サンリオのキャラクターグッズを集めいました。

当時からサンリオの商品は他のメーカーより原価も売値も高めながら、他のメーカーには無いハイセンスなキャラクター商品は売れ行き抜群で卸業の父も良く仕入れて居ました。

特にキティ、パティーアンドジミー、キキララ、風の子さっちゃんなどが当時は大人気で、女の子なら誰でも手に入れたいグッズばかりでした。

45年経った今でも当時の在庫の残りが私つき子の手元にあります。


父が廃業する時、多くの在庫は専門の業者に処分を依頼して、現金化出来る物はしたのですが、つき子がもらって置きたい物は避けてキープして置いた物の一つがサンリオの商品でした。

可愛らしいものばかりですが、かれこれ30年40年経ってしいるので、外箱がホコリダラけだったり、ビニール包装がホコリ焼けしていたりとメルカリに出品するのもちょっと・・・?と言う物ばかりなのが惜しい。

キティの湯呑みとキキララのコーヒーカップがあったので、キッチンブリーチしてみました。ご覧の通り綺麗になったのでご紹介します。メルカリいけるかな?


【伝説の月刊雑誌リリカ】

昭和っ子な皆さま、リリカを覚えてますか? リリカはサンリオから出版された漫画雑誌でした。

1976年9月、月刊誌として誕生日本で初めての左綴じで横書き、全ページ、オールカラー で創刊された。創刊号の執筆陣は手塚治虫、水野英子、ちばてつや、山岸凉子、永島慎二、おおやちき、他、当時人気、実力ともに最前線の漫画家、が名を連ね、その後も、石ノ森章太郎、竹宮恵子、萩尾望都らが加わる。マンガのほか、懸賞(サンリオ商品)、インテリアコーディネイト、ファッションコーディネイト、料理など、ティーンが好む情報を写真ではなく、カラーイラストで特集した。しかし、人気漫画家にとって、月刊誌でオールカラーという企画はかなりスケジュールを圧迫する。そのために、マンガではなく、イラストに詩や物語を書いたものや、三色刷り、二色刷りのページが増え、号を追うにしたがって、当初の美しさはなくなり、紙質が落ち、雑誌の勢い、人気は徐々に低下。ついには「休刊」という名の廃刊になった。1979年、3月号(第29号)をもって廃刊[3]。

出典/ウィキペディアより

そう、当時オールカラーという贅沢なコンセプトの、伝説の月刊漫画雑誌でした。中でも創刊当時、手塚治虫のユニコが可愛くて、品があって、大好きでした。

【詩とメルヘン】

そしてもう一紙、詩作好きのニッチな少年少女だった人ならご存知なのが、アンパンマンの産みの親、やなせたかし氏が長く編集長をつとめていた『詩とメルヘン』と言う雑誌も思い出す事でしょう。

リリカ同様美しいオールカラーの雑誌で有名イラストレ-ターと一般投稿で選ばれた詩やメルヘン、ファンタジー作品などの夢のコラボが実現出来た雑誌でした。

1976年からサンリオが発行2003年休刊。その後『詩とファンタジー』としてかまくら春秋社の発行する季刊の文芸雑誌。として2007年10月19日に事実上復刊しました。

創刊から24号までやなせたかしが責任編集を務め2018年4月5日発売の37号にて定期刊行を終了、今後は別冊として不定期刊行になる予定と発表されました。2018年8月1日に不定期刊行移行後初の号となる『別冊詩とファンタジー まるごと林家木久扇』が発行。2019年1月8日に38号が発売されて居ます。

今でも、コアなファンがサンリオとやなせたかし氏の思いを引き継いでいるんですね。嬉しい!

何を隠そう私つき子もかつて、詩を投稿し黒井健先生のイラストを付けて頂き詩とメルヘンに載せて頂きましたー!

フェイク妄想情報ではございません、ホントです(笑)

昭和59年、1984年つき子高校2年生の春でした💦

ペンネームは大島翼(笑) 漫画家の大島弓子先生の大ファンだったので付けたペンネームです。

当時500円のこの雑誌、私が買うにはちょっと高価な雑誌で買えなかったのでがすが、兄が当時中々のメルヘン男子で毎月詩とメルヘンを買ってコレクションして居りました。今でも兄のコレクションしていた詩とメルヘンが家に有ります。

その兄がコレクションしている詩とメルヘンを盗み読みする事が楽しくて、綺麗で可愛くてハイセンスなイラストに投稿詩や感性豊かな散文などが、当時のつき子にとってはミステリアスに思え、盗み読みするのにピッタリで、その行為自体を密かに楽しんでおりました。

そして、ちょっとしたイタズラのつもりで兄には勿論、誰にも内緒で詩を投稿してみたら、程なくして、『あなたの投稿詩を◯月号に掲載いたしますので、今月登場した作者の一言紹介欄にのせるコメントを寄せて下さい』とお知らせが来て、ビックリ!

誰かイラストを担当するかまではお知らせがなく、実際出版されて送られて来て、黒井健さんだったので家族もみんな大喜びでした。黒井健 氏は当時から超有名なイラストレ-ターさんでした。

イタズラのつもりが家族もみんな喜んでくれて・・・恥ずかしいと言うか、気が引けちゃったのを思い出します(笑)

今の様に個人発信出来るネットブログもツイッターもインスタグラムも、なんーにも無い昭和の時代、原稿用紙に手書きして、切手を貼って郵送して・・・審査があって、編集が入って、書店に並び手に入る。

一般人にとって、自作の詩一つ、つぶやくにも今では考えられないくらい敷居が高かった。でも喜びもまた一塩でした。 そこにはちょとした、可愛いらしい優しい”夢”がありました。

『詩とメルヘン』はそんな素敵な雑誌でした。

そしてサンリオには今も昔も可愛らしいもの美しいもの達への愛と夢があります。

サンリオのキャラクター達は今もこれからもずっと世界中で愛され続けてくれるはず。45年たっても可愛いくて元気いっぱいなハローキティちゃんに『ハピーニャースディー 45周年! ニャンニャン』と、うちの猫さんも言ってま〜す!