1976年/昭和51年コカ・コーララッセルヨーヨーブーム
1976年昭和51年、私つき子9才小3。シュワー!と云う喉ごしと共にアメリカからヨーヨーブームがやって来ました。コカ・コーララッセルヨーヨーブームの到来です。ある日、駄菓子屋の路地にコカ・コーラのロゴ入りのバンがやって来ました。その車から降りてきたのは、若いお兄さん2名。たちまち2人は子供達に囲まれると、サッと瓶ケースを数個地面に並べ、特設ステージを作ると早速その上でヨーヨーの華麗なる技を次々に繰り広げるのでした。
【コカ・コーララッセルヨーヨーブーム】
1976年、79年、84年とヨーヨーメーカーのラッセルプロモーションズがコカ・コーラとタイアップして販売を仕掛け、当時一大ブームとなりました。
デモンストレーションをしていたお兄さんはプロモーターで基本外国人で、ヨーヨーチャンピオンだそうですが?
私つき子の記憶では、我が町に現れた2人は日本人だった様に記憶しております・・・?
ラッセルヨーヨーチャンピオンのお兄さん達がやっていた華麗なる技は、『犬の散歩』『世界一周』『ブランコ』など、その他ヨーヨーを回しながら、綾取りのようにして星形を作ったりと、当時の子供達を瞬く間に虜にしてしまうテクニックの数々を披露しておりました。
淵が透明で赤の地に白いコカ・コーラのロゴの入ったヨーヨーは確か400円ほどで購入することもできましたが、やはり駄菓子屋に群がる当時の子供達にはやや高いお値段。(他、色々なデザインがありました)
そこでコカ・コーラの瓶の蓋の裏に当たりがあればラッセルヨーヨーをゲット出来たので、ワクワク感も加わり当時の子供達の間で大ブームとなりました。私つき子も女の子ながら、兄とヨーヨーを奪い合うようにして、犬の散歩とブランコぐらいはやった記憶があります。(笑)
【CMソング、スカッとさわやかコカ・コーラ】
コカ・コーラのCMは歴史が古く1960年代から盛んに流れていたようですが、私が一番覚えているのは、1977年の青い海とヨットのCM。
トランザムの『Come on in Coke あふれる光の中で』です。
今でもコカ・コーラと云うとパッと頭に浮かぶのはこのCM!
夏だ~海だ~!!!
シュワーwwwww!
スカッとさわやか~~~~。
【ペプシ、コカ・コーラ戦争】
80年第に入って本国アメリカでコカ・コーラ社とペプシコ社で飲料水販売戦争が激化。
ペプシコーラの猛烈な販売戦略に翻弄されてなのか?
コカ・コーラの味に変化が!!!!
これには、日本のみならず、世界中のオールドコークファンは戸惑ったと思います。
実は今でも私つき子は1970年代ころのコカ・コーラの味が忘れられません。
昔のコーラはこんな味じゃ無い!・・・と実は今でも納得がいきません。
実際1985年にコカ・コーラ社は、オールドテイストに戻します。昔の味ですと正式に発表して、販売し直しましたが、それでもなんかちがうー。となって、私つき子はそれ以後コーラ離れしてしまった一人です。(悲しいー)
あのツーンと鼻をつく独特の香り、ギンギンに冷やすとビリ!とくる飲み口、けして甘ったるくない、あの、あの懐かしのコカ・コーラをもう一度、
シュワー! ゴクゴク!
すっきりさわやか~。
と、のみたいー。
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しかし、もうひと世代前戦前生まれの両親に言わせると、戦後アメリカンアーミーによりもたらされたコークの味は、私たちが70年代に親しんでいた味とも少し違った様です?
「もっと、薬臭かった⁉」・・・・と、当時も言っておりました。
コカ・コーラが本格的に日本で製造販売される様になったのは、1961年昭和36年の事だそうです。それ以前に出回っていたのは輸入品、もしくは、輸出向け製品だったのでしょうか・・・。
興味深い記事を見つけました。
日本占領の連合国軍最高司令官となるダグラス・マッ カーサー (Douglas MacArthur) が,日本降伏を間近に控えた1945年8月1日, フィリピンのマニラでコカ・コーラのボトリング設備 (1942年1月停止) が 再稼働した際,その開所式典に出席し第1号ボトルの札に自ら署名したこと は,まさに米軍とコカ・コーラとの親密ぶりを示すものであった (4) 。 そのマッカーサーは,1945年8月30日フィリピンから C54 型輸送機で厚 木に降り立ち,長後街道を経て連合軍総司令部 (GHQ) の暫時置かれた横浜
(宿泊先は山下公園前のホテルニューグランド;9月16日東京の第一生命ビルへ移 転) へ入ることになるが,その GHQ はコカ・コーラ社の海外統括子会社 CCEC に対し,占領地日本への代表団派遣を要請する。(略)~CCEC 直属の日本支社は占領軍の需要に応えるべく,1946~52年にかけて, 日本本土に6ヵ所のボトリング工場と,1ヵ所のシロップ工場,1ヵ所の炭 酸ガス工場,1ヵ所の倉庫,さらに韓国工場 (6) ,グアム工場および沖縄工場を, 次々と設置していった。
出典元 https://core.ac.uk/download/pdf/148079368.pdf
【アルカリイオン水、ポカリスエット】
変わりに1980年昭和50年代、アメリカのコーラ戦争を横目に、日本の大塚製薬から アルカリイオン水をキャッチフレーズに販売されたのがポカリスエットでした。
はじめは「え、なにそれ?アルカリイオン水?んー?うっすら甘じょっぱいねー?」みたいな・・・。
スポーツする人の汗の味らしいー!!
体液が失われるので、スポーツの時は良いらしい的な認識でしたが、今一つ味に関しては「???」といった印象でした。
今では、熱中症予防や風邪で熱が出た時などの定番です。
ちなみに私つき子は酸味の強いアクエリアス派、アクエリアスはコカ・コーラボトラーズですね。
【新人タレントCMの大堂】
ポカリのCMと云えば、これまでも数多大物新人タレント起用してきました。
2019年度『ポカリ青ダンス魂の叫び』編もカッコいいーですね!
茅島みずきさん、萩原護さん、Miriさんの切れきれダンスめちゃいけてます~。
が、しかし・・・昭和っ子の私つき子の世代はやはりあの方でしょう!
そう、宮沢えりちゃです。
先にも書きましたが、ポカリスエットは発売当初人気が無く、まったく
売れてなかったとか・・・。
しかし宮沢りえちゃんを起用したCMが大ヒット、いまに至るロングセラー商品となりました。
まさに神CMです。
イメージ戦略を制するものが勝ち上かる時代の到来でもありました。
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