平成最後の日に昭和最期の日を思い出す
昭和は64年ありました。私つき子は昭和42年生まれ、西暦で言うと1967年です。私の両親は2人とも昭和9年生まれ、1934年美智子皇后と同じ年生まれで、終戦の年、昭和20年1945年は小学校高学年の夏。だったそうです。父親はあまり戦争体験の事を私達子供には語らなかったのですが、母は普通の生活の中で良く『戦争中はね・・なになに・・・だったのよ〜。』と子供の私達に良く話してくれました。
しかし、当時は本人も小学生の子供だったわけで、子供の心と身体だ感じた戦争体験はやはり大人のそれとは少し違うものだったのではないかなと、今大人になった自分が当時母から聞いた、母の子供の頃の戦争体験の話しを振り返って思います。
母の戦争体験を聴いた話しは又別の機会に書きたいと思いますが、そう『昭和』とは戦争があった時代でもありました。平成の最後の日、昭和最後の日を思い出して綴ってみたいと思います。
【昭和最期の日】
昭和64年1月7日土曜日朝、雪にでも変わりそうな冷たい雨が降っていました。その朝、昭和は終わりました。
朝からテレビ報道は昭和天皇崩御のニュースでもちきりで、コマーシャルも浮かれた物はダメー!シャットアウト!的な感じがあり、どのチャンネルも遠巻きに皇居前広場や宮内省の映像を流してみたり、各局、昭和天皇の長かった在位期間を振り返る古いニュース映像を盛んに流しては、政府の今後の動向に注意を向けて頻繁に映像が切り替わったりを繰り返しているうちに、例の小渕官房長官の登場となり、バシャバシャ、カメラのシャッターが切られる中、新元号は『平成』です・・・。ふたたびシャッター音!と、あの有名なシーンに私達昭和民は釘付けとなりました。
私の率直なその時の感想は、
『へーえ、平成〜?しかも明日からだつて〜⁉️ 』
母の感想は
『平成ー?字は良いけど、言葉にすると音的に気が抜けるわねー』
確かに55年間も昭和に親しんだ昭和9年生まれの人にとっては、気が抜けてしまうのも無理はありません。(笑)
今思い出すと懐かしい。
父は平成19年に他界し、母は今ホームに入居し、お世話になっています。先日、『平成は終わりだよ、来週からね令和って言う年号に代わるよ』と伝えると、『平成終わり?何で?』と聞かれたので一応カクカクしかじかと説明しましたが、1分前にした話しを覚えていられないので、話しは延々とエンドレスロードをめぐり、結局いつもの様に私が疲れてギブアップ!『バスの時間になっちやったから又ね、令和になったらまた来るね〜。』と帰路に着きました。(汗)
昭和最期の日のことを思いした時、この数週間の平成最期ウィークがやたら人工的な気がしてきたのは私つき子だけかな、・・・と?疑問です。
社会の混乱や、自粛ムードにのみこまれて経済の低迷につながってはならないとのご配慮からとの事も充分理解出来ますし、両陛下にありがとうと、さよなら、そして感謝の気持ちをみんなで分かち合えてとても良かったし、新元号の『令和』にしても、まるで産まれる前にお腹の中の赤ちゃんに名前を付けて、家族全員が『令和ちゃん〜元気に出ておいでー、みんなで待ってるよー。』と呼びかけている様なこの一月・・・正直・・・?益々、平成最後~。令和最初~。祭りが盛り上がりをみせるにつけて、
このゴールデン・テン(10日)ウィークが終わったらグッタリかも⁉︎(消費も・・・。)
ともあれ、明日御生れになる令和ちゃんを私達令和新民はどんな時代に育て上げて行けるのでしょうか?
昭和の終わり、 平成の始まったとき、私つき子は22才でした。
平成の30年間は夢中であっという間に過ぎてしまいました。
今があるのは、平成30年間のおかげです。
有難いかぎりです。全てに感謝です。
【失われた時代からの贈り物とは?】
とかく失われた数十年と云う言い方をされてきた平成の御世。終わりを迎えるにあたり、国民の大多数は、ここ数日、ありがとう平成!と感謝の気持ちを存分にあらわし、天皇陛下の最後のお言葉も、国民への深い敬愛と感謝の気持ちと・・・お言葉をのべられ、まったく皆が『感謝申し上げます』『いえいえ、こちらこそ感謝申し上げます 』・・・・。とこれまた日本的ご挨拶!を言い合っているのが、30年前の昭和から平成への時と大きく違う点に思います。
先にもあげた通り、昭和と第2次世界大戦(太平洋戦争)は切っても切り離せない歴史です。そして、昭和天皇崩御にあたり、世界各国の昭和とその時代に対する論調も厳しいものが、少なからずあったのです。
これは、平成元年3月発行の文藝春秋特別号、『大いなる昭和』永久保存版と称する当時の雑誌。今は亡き多くの文壇人も寄稿しています。そして海外からの多くの声の中には、昭和天皇の戦争責任、第2次大戦の当事者日本のラストエンペラーと言った内容のものもありました。
個人の感想として、世界を見渡せば戦争は常に今この瞬間でもあるので、戦争の無い時代でよかったとは言わないまでも、感謝の気持ちで終わろうとしている平成もまた、別の意味で、大いなる時代だったと言えるのではと思います。
【1988年日産セフィーロと井上陽水】
そう、昭和の終わりの始まりは、1988年の秋頃に昭和天皇が大量吐血されて、お倒れになり、それから毎日の様に昭和天皇の御体調と称する、脈拍やら血圧やら体温やらの報道がなされる様になった時から始まったのでした。
そして、忘れもしないあのCM 。日産セフィーロと井上陽水です。
昭和天皇の御体調悪化を憂慮して世の中はどこもかしこも自粛ムードの真っ最中に。
『キーワードは、くう、寝る、遊ぶ』
後方からサーっと車体の側面へカメラがよると、ウインドウがスーと下がり、黒のグラサンでニンマリ微笑みを浮かべた井上さんが『みなさん、お元気ですか、失礼します〜。』と言って、カメラはそのまま前へ。セフィーロを真正面からとらえて、『走るっておもしろい、日産セフィーロ』となる、あの伝説のコマーシャル!
時代はまさにバブル期に突入、まさに『走るっておもしろい~。』と言わんばかりに加速度を増すなか。
昭和天皇の体調悪化に伴う自粛ムードが漂いはじめたタイミングでオンエアされたCMです。
不謹慎だ!となり放送自粛の波にのまれ、放送禁止に!ニンマリ井上陽水さんのセリフもカット。
日産はやっぱり30年前も世間を騒がせておりました・・・?お元気ですか?・・・ゴーンさん。
でも、やっぱり物凄く印象に残っていて、昭和の最期を思い出す時、いつも決まってあのバックに流れていた井上陽水さんの曲『今夜、私に』とニンマリ笑顔の『みなさん、お元気ですか、』のセリフがサッと蘇ります。
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価格:2,880円 |
あの当時の若者の世間に対するスタンスのとり方と云うか。少しおふざけで、悪気は無いけど、それこそ斜め後ろからちゃかす感じが、懐かしい。私つき子も当時まさに22才のチャラい若い子だったので、懐かしくもあり、今振り返ると、やっちゃってるね〜と恥ずかしくもあります。
『食う、寝る、遊ぶ・・・』ですよー!
平成の超真面目で、バイトを2つも3つも掛け持ちしながら大学に通っている様な今の若者達に聞かせたらマジすか?と、ドン引きされるか?ひょっとして、羨ましがられるのかな・・?
私つき子にはわかりません。
しかし30年の歳月が過ぎた事は実感できます。
【ゆく時代くる時代】
昭和民にとっての令和とはいかなる時代となるのでしょうか?うるわしく生まれて来るであろう令和を孫の様に溺愛してしまうかも?
良き時代になります様に。
ちなみにつき子の平成最後の晩餐は、冷蔵庫のあまりもの。
フードロスゼロに取り組んでいます!
Happy new age,
Congratulations new age,
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