昭和、平成、今昔物語1 昭和のお茶の間とテレビっ子 

2019年7月19日

こんにちは、はじめまして つき子と申します。
初ブログです。
平成の終わりに思うところがありブログ始めました。私は1967年、『昭和』42年生まれ、バブル期に二十歳代前、『平成』の世は成年から中年に・・・。
そして来たる『令和』は中年から初老⁈に・・・差し掛かる。といったところです。50代前半まだまだやるぞーと、勝手ながら令和新時代の幕開けを楽しみにしている、そこそこ元気な 中年生 です!さて、人は世につれ世は人につれ。
平成の世が終わる今、昭和から平成までを自分なりにふりかえり、皆様と共有できる話題や、昭和、平成時代に愛された人々のこと、みんなが夢中になった映画やドラマ、マンガ、グッツ、アイテムなどなど、また令和新時代への希望をあれこれ妄想しつつ、今後益々身近になって行くAIや変貌する社会などについてサイトを訪れて下さった皆さまと考えて行きたいと思っています。




【昭和のテレビッ子】

昨年末4k 放送がNHKなどで本格的に始まりましたね。昭和生まれの私は普通に2Kの放送で実は充分満足、あの昭和感満載な分厚いブラウン管テレビも未だ家に3台もあり、そのうち1台はモニターとしてチューナーを繋いで普通に地デジとBs放送を観ているありさま!
もちろん薄型テレビもありますが、それさえも10年前の型で・・・今となっては古いですね。
別に困ってはいないのですが、昨年末一瞬4k テレビを買おうか迷ったことがあります。

NHKの4k 本放送で『刑事コロンボ』69話全放送が始まるときき、わーい、となったわけです。
そう、私は幼少の頃より刑事コロンボが大好き
なので、テレビで放送があれば何度でも必ず絶対に観ます!
数年前BsTBSで全放送があった時も毎回録画しながら観ましたし、昨年末から3月にかけてBsプレミアムで放送していた刑事コロンボ思い出のベスト20も観ました! 大ファンですので出来る限りリアルタイムの放送で観たい!(電波の放送で)
何故なら、子供時代、刑事コロンボが放映される時間が来るのが待ち遠しくてワクワクしながらテレビのチャンネルを合わせていた、
あの 懐かしの 子供時代。

皆さん、まさに、画面横の丸いつまみをワクワクしながら、カチカチ回すのですよ〜!

私の子ども時代の想い出は、記憶の経年劣化で全てが美化されまくり、何よりテレビ放送の想い出と切り離し難く結びついていますなので 、新たな 4Kテレビ放送 開始!ーーー未体験ゾーンに!
とか言ったキーワードにめちゃくちゃ反応してしまい、購買意欲がモリモリ湧き出て、焦りました。

業界もそんなテレビッ子世代の中年をターゲットに戦略を立てているわけで、未だ貧弱な放送スケジュールに懐かしの名画4Kリマスター とか、70年代お茶の間の人気をさらった欧米ドラマの刑事コロンボや奥様は魔女とかを放送ラインナップに入れて来るわけです。
しかし4Kテレビ本格普及は来年2020東京オリンピックでしょうか・・・⁈

前回東京五輪1964年昭和39年は私の生まれる3年前、3つ年上の兄が生まれた年、3年後1967年昭和42年に私も生まれ、いわゆる日本の高度経済成長の雰囲気を幼少期ながら体験して居ります。

先程も書きましたが子供時代の思い出は初恋の人の様に美化されてしまって、
客観視しかねるところもありますが、
ちょうど半世紀生きて来て、令和新時代の到来目前に、一個人の思い出の昭和平成今昔物語を綴ってみたいと思います。

【昭和民の愛した刑事コロンボ!】

私は刑事コロンボの大ファンと書きましたが、刑事コロンボがはじめて世に現れたのは、1960年にアメリカのテレビで放送されたあるエピソードの中だそうです。
俳優のバート・フリードがコロンボを演じ、その後1962年にこのエピソードをもとに脚色し 映画『風と共に去りぬ』でスカーレットオハラの父親を演じた名優トーマス・ミッチェル主演で舞台化され絶賛されました、それが『殺人処方箋』です。

私たちのよく知るピーターホークの刑事コロンボ『殺人処方箋』は1968年に再度テレビ版にアレンジした単発作品まで待たなくてはなりません。

ピーターフォークが新たなコロンボとして選ばれたのは、舞台で絶賛されたトーマス・ミッチェルがすでに死去していたためとのこと・・・。

“Wiki”によれば日本での初回放送は
1972年8月『殺人処方箋』、9月『ホリスター将軍のコレクション』10月『二枚のドガの絵』11月『構想の死角』12月に『もう一つの鍵』と5タイトルが放送されたようです。

本国アメリカで1968年の単発放送の『殺人処方箋』から次回作パイロット版の『死者の身代金』が放送される1971年3月まで2年の間があり、続く1971年9月の『構想の死角』から1972年2月放送の『パイルDの壁』までの7タイトルを第1シーズンと数えるらしいです。

1972年日本発放送当時、私 つき子は5才の幼稚園児!刑事コロンボをリアルタイムのテレビ放送で観たのか・・・?

自分自身の記憶は、定かで無いのですが、親から聞かされた幼少期の思い出話しの中にコロンボが出て来るくだりがあり、私し自身「へーえ〜」と思った想い出はまさに昭和感満載なエピソード。

【想い出の寝コロンボさん】

さて、昭和のテレビッ子のヒーローの一人刑事コロンボ。

日本で、刑事コロンボが回放送されはじめたのは1972年からの事、私は5、6才の幼稚園児から小学校低学年の頃から、ハッキリとした自身の記憶の中で、当時コロンボの放送を観たのを覚えているのは1975、6年の、小学校2.3年生の頃からです。

水野晴郎の水曜ロードショーで観た刑事コロンボが鮮明に蘇ります!

1972年初放送当時の記憶はおぼろげながら、後年親から間接的にこんな想い出話しを聞いた事があります。

私の父は当時自営業を営んでおり、自宅が店舗兼住まいとなっておりました。
お団子屋さんでは無いですが、映画『男はつらいよ』の寅さん一家の風景を思い浮かべてもらうとよいと思います。

店舗とプライベート空間が障子戸で仕切られてはいるけれど、いつも開け放たれていて、炬燵やちゃぶ台、テレビなどが置かれている。店主は店番をしながら、しばしば来店した客やご近所さん、商売仲間たちと店と一続きになっている茶の間でお茶をすすり、世間話をし、来店者が来れば商売をし、つまり昭和のコミュニケーションツール空間であり。茶の間こそ日常生活の中心でした。

昭和30年代〜40年代、そんな生活が当たり前で、当時文具、事務用品の中間卸業を営んでいた我が家も、日常的に各メーカーさんから担当者がやって来ては新商品の売り込みや、在庫の確認やらでしょっちゅう長居をし、うちの家族全員と仲良くなって、お互いに楽しいひと時を過ごしておりました。

そのなかの一人に、また若い営業マンなのに・・・?? 刑事コロンボの風貌とそっくりなナガシマ君と呼ばれていた外交さんがおりました。両親もとても親くしていて、私や兄もよく遊んでもらい、とても懐いていたそうです。

昼前の11時頃営業にやって来て、奥の座敷に上がり混んで、私たち兄妹と遊んで、お昼に成ると、母が「ナガシマ君お昼、食べるでしょ」と言うと、彼も「はい奥さんいただきます」とお昼を私たちと食べ、食後ごろんとその場に横になって私たち兄妹とテレビを観たり、トランプしたりと、くつろぎのひと時を過ごし午後3時頃に、ではまた伺いますと言って帰って行く!そんな刑事コロンボ似のナガシマ君は自分でも意識しての事かコロンボのトレードマークのベージュのコートをいつも背広の上から着ていたそうです。

お昼ご飯を食べ、いつも居間で、ごろんと昼寝までしていくコロンボ似の彼のことを幼い私は寝コロンボさんだ、寝コロンボさんだ、と言ってとても慕っていたそうです。

ドラマの中のコロンボも勤務中なのか、勤務外なんだか、よくわからないくらい、時間かまわず犯人の前に現れては事件解決の糸口を見つけ出しますよね、そして犯人の中にはそんなコロンボとの駆け引きが楽しくなり、大いに親近感を抱いて、ついヘマをして墓穴を掘り、コロンボの手に落ちる!なんて事も多々あります。
ダサい見た目とは裏腹に、切れる思考の持ち主、それでいて憎めない性格のコロンボ。そんな所が、昭和民のみならず、今でも多くの人々に愛される続ける理由かなと思います。

昭和の営業マンの外回りの実態は、私には分からないので何とも言えませんが、本当に昭和のあの頃、うちにやってきた各メーカーの外交さんはよく1時間も2時間も、店主である両親と商売の話題はもとより、コロンボの口癖う『ちのかみかんが・・・』ではないですが、自身の家族の話やたわいもない世間話、プロ野球の話や、自身の生い立ち、等々・・・とめどないお喋りを仕事の最中に延々と楽しんでおりました。

すべてが昔のほうが良かったなどどは言いませんが・・・、
今では到底ありえないほどの親近感と、開けっぴろげでのんびりしていて、人にも物事にも、今とはことなる基準の許容範囲があった昭和の思い出です。

 

 

刑事コロンボ傑作選 5時30分の目撃者/忘れられたスター【Blu-ray】 [ ピーター・フォーク ]

価格:1,500円
(2019/4/17 05:03時点)
感想(0件)

【送料無料】【直送の為、代引き不可】家具調レトロ液晶テレビ EREO FEP株式会社【レトロテレビ・おしゃれテレビ・インテリアテレビ・昭和 テレビ・レトロデザイン テレビ】

価格:79,800円
(2019/4/17 05:17時点)
感想(0件)